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2018年9月20日木曜日

製鉄所時代

これを契機に東大、京大卒が主力の品質管理課へ配属され、統計学も彼等と一緒に東京で東大教授の講義を毎月一週間半年受けた。この統計学を活用し、室蘭製鉄所新設のガスホルダーと発電所の容量を算出、予算獲得の為、建設の最高幹部、佐藤さんが何回も私を本社へ連れて行ってくれた。
当時はプロペラ機。思い出がいっぱい。
そして昭和40年新設の名古屋製鉄所へ転出、ガスホルダーと発電所の容量を算出した。その後、掛長として製鋼へ異動。たまたま机の側を人が通ったので頭を上げたら、なんと室蘭でお世話になった佐藤さん。「おーお前此処にいるのか、大分へ来い。」と言われ、昭和46年大分製鉄所へ異動。昭和53年課長、その後関連会社へ出向。その時の支店長は、室蘭時代にお世話になった亀井さん。
人生の進路は脈絡、全ての人に感謝、全ての人に尽くす、やはりこれは最高。
最後になったが、お母さんと私が初めて会ったのは、室蘭煉瓦工場の事務所の入り口に一番近い机。



父の手紙は、自慢ばかりだ。本人も手紙の最初に「思い出話は、自慢話が主体」と前もって宣言しているのでそれも良し。高度成長期の男性は全員こんなものかもしれない。戦後のどん底から這い上がり、新しい日本を作ろうと息巻いていたのだから。
しかし、手紙には殆ど家族のことは出て来ないなあ。と思っていたが、今日の手紙の最後に初めて母の話が出てきた。母とは社内恋愛だったのか。ずっとお見合いだと思っていた私には驚き。母との出会いの場面は、なんだかとても微笑ましい。

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