拝啓、皆様、初めまして。「千(せん)」と申します。これは私の父「康(やす)」からの手紙です。 父は大正15年(1926年)生まれで今月92歳になります。26年前に母に先立たれ、現在、サービス付き高齢者マンションで独り暮らしをしています。 90代の今、戦争時代の経験、幼少時の思い出等々。父の記憶や思いをブログにしました。
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2018年10月31日水曜日
青春~恋愛編
男女七歳にして席を同じくせず
我々の青春初期、敗戦直前「男女七歳にして席を同じくせず」というテーマが流れていた。小学校は多分同席だったと思うが、旧制商業校は勿論八幡教習所時代も女性の思い出は一切ない。
終戦翌年
終戦翌年秋、教習所卒業、製鉄所に復帰。最初に配属された部署は石炭をコークスに変えるコークス炉新設工事の監督課。人員は、課長、掛長、ベテラン係員と私4人。工事の請負はK組、コークス炉の建設は異形煉瓦を組合せ、作り上げていく。煉瓦の運びは女性、背中に運び板を背負い、それに大型煉瓦を入れ、新設コークス炉の上昇通路を一歩一歩上まで運んでいる。
生まれて初めてのデート
70年前の話、詳しいことは忘れたが、その女性群の一人、Yさん(K組の社長の姪)、今まで東京に居たと聞いたが、そのYさんに誘われ、生まれて初めてのデート。太平洋岸の砂浜を二人きりで歩いていたが、突然彼女が私に抱きついてきた。おー来た!と思い、こちらも彼女の通り抱きついたら、今度は側の草むらに抱きついたまま倒れた。こちらも倒れたがそれで満足。暫くしたらYさん帰ろうと立ち上がり別れたが、その後、何の誘いもなく、別の男性と付き合っていたようだ。
お母さんとのデートは・・・
新設工事終了後、煉瓦工場へ異動。そこでお母さんと出会い、どちらが先に誘ったか忘れたが、何回もデート。お母さんも俺と同じく男女同席せずの時代の生まれ。デートはいつも小さな妹を背負い、三人で。そして結婚。お互い男女の愛し方も何も知らぬまま、いつの間にか素晴らしい娘三人に恵まれた。超嬉しい。Oh! Wonderful!
お母さん今、天国で笑ってる。
久しぶりの父からの手紙は、微笑ましい青春時代の恋物語でした。めでたしめでたし。
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