教習所での専攻科目は耐火煉瓦、鉄を鋼にするには1450℃で加熱する。
この高温に耐える煉瓦は宝石並み。最高級の珪石を使い粒度調整も念入りに型を作り上げるが、珪石の加熱は、530℃付近に急膨張点があるので、その近くはゆっくり加熱しないと煉瓦に亀裂が入る。当時は炎の長い石炭を使うのが定石。
教習所卒業後、煉瓦工場に配属され真っ先に丸窯を覗いたら、紅い炎が直接煉瓦に触れているので、上司に530℃までは炎の出ないコークスで焼いてはと提言した。
上司はやってみようと実行したら、40%台の歩留まりが一気に倍加80%台。お陰で社長賞そして当時全国的にも著名な永野重雄社長、本社の重役陣に囲まれ、昼食会を行ってくれた。
拝啓、皆様、初めまして。「千(せん)」と申します。これは私の父「康(やす)」からの手紙です。 父は大正15年(1926年)生まれで今月92歳になります。26年前に母に先立たれ、現在、サービス付き高齢者マンションで独り暮らしをしています。 90代の今、戦争時代の経験、幼少時の思い出等々。父の記憶や思いをブログにしました。
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2018年9月15日土曜日
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